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良いヨウ素 悪いヨウ素 [小説]

■人物紹介
【山吹カナ(ヤマブキカナ)】某高校の化学部1年生。身長146cmのミニマムメガネっ子。ハカセと呼ぶものもいる。
【越後大貴(エチゴヒロキ)】化学部3年生。上級生のくせにカナを敬愛し、付き従う、見た目はさわやかなメガネM男。
【枇々野那奈(ヒビノナナ)】1年生。自他共に認める超絶美少女。カナの知り合い。
【阿久津瑠璃(アクツルリ)】1年生。グラマラスボディを持つ長身メガネ。ナナの友人。




 校舎の屋上。
 空には雲が低く立ち込めているが、雨の匂いはしない。
 一人の少女が立っていた。背は低い。制服の上からはおったぶかぶかの白衣が風にひるがえる。肩まで伸びたふかふかの髪と、スクエアのメガネ。
 山吹カナである。
 校舎や校庭内には複数の人の気配があるが、屋上にいるのはカナとその隣に立つ手足の長い男子生徒、越後だけだった。
 越後は細い棒を持った右手を空にかざしている。棒の下からはコードが延びており、左手に持つ機械に続いている。モニターに映し出される数値を読み上げるが、カナは聞いているのかどうか分からない表情で、空を見ているばかりだった。
「こんにちは、ハカセ」
 朗らかな声が数値を読み上げる機械的な声を打ち消す。その声の主が姿を現しただけで、灰色の光景に色がついていくような錯覚に襲われる。
 超絶美少女の那奈は、今日もその己の美を惜しげもなく燦々と振りまいている。その後ろには瑠璃の大きな姿も見える。
「なにをしているの?」
 緊急の測定を行っている原子力保安員の分析担当官であっても、その質問には作業を中止して答えざるを得なかっただろう。それだけの美の力を持つのが那奈である。
「さる筋から放射線測定器を入手したから、測ってみているの」
 カナがハスキーな声で訊ねる。
「この辺りにも飛んでるの?」
 那奈はぎょっとした顔をして辺りを見回す。もちろん、ぎょっとした顔も美しい。
「飛んではいるが大した数値じゃないわ。地震前の数値を測ったことがないから比較はできないけど、原発の影響はないでしょうね」
「基準値以下というやつね」
「そうね」
 カナはその表現に、にやりと笑う。
「珍しいわね。こんなところに来るなんて」
「聞きたいことがあったのよ。化学室に行ったら、ここにいるだろうって教えてくれたの。ねぇ、化学部って、放課後に皆で集まって携帯ゲームをするところなの?」
「それぞれの部に、それぞれの事情があるのよ。そんなことを訊きに来たの?」
「いや違う」
 瑠璃が前に出てきて答える。カナと瑠璃では身長が30センチも違う。とても同じ高校1年生には見えない。
「ニュースを見ていると、放射線ヨウ素があちらこちらで検出されたって言っているだろ。水の中からも検出されて、何リットルまでは飲んでもいいとかやってる。でも一方で、放射線を防ぐためにヨウ素を飲むとも言っている。結局、ヨウ素って言うのは良いのか悪いのか分からないんだ」
 瑠璃は淡々と訊ねる。本当に興味を持っているのかと不思議に思うほどだ。
「そうそう。いったいどっちなのかはっきりしないのよね。そもそもヨウ素ってなんなの?葉酸と関係ある」
「関係あるも何も、塩素が酸になった物が塩酸。なら、ヨウ素が酸になった物が葉酸に決まっているだろう」
「せっかくの私の客に、堂々と嘘をつくな!」
 カナのハイキックは身長差の関係上、越後のふとももにクリティカルヒットする。さわやかな表情が一転苦悶し、倒れこむ。
「壊さないでよ」
 倒れる寸前に飛んだカナの声に反応し、放射線測定器を守ったが、肩をしこたま打ち付けることになった。うめき声が上がる。
「ヨウ素が酸になったら、ヨウ素酸よ。葉酸とはなんの関係もないわ」
 カナは足元に倒れている者などいないかのように答える。
「ヨウ素がなにか?の前に、放射線について少し説明をするわ」
 那奈と瑠璃はカナに促され、いつの間にか用意されていたイスに腰を下ろす。那奈はカバンから伊達メガネを取り出してかける。
「どうぞ」
「放射線を浴びたらガンになる、白血病になる、はげるとか言われているけど、微量の放射線ならば全く問題ないわ。さっきも言ったけど、原発に関係なく私たちの周りには常に放射線が飛んでいるわ」
「う、うん」
 那奈が不安そうな顔を見せる。表情の変わらない瑠璃は平然としているように見える。
「問題ないって言っているでしょう。だいたい生まれてから15年間、放射線を浴び続けてきたのよ。今さら隠したところで関係ないわ」
「それはそうかもしれないけど……」
「まず」カナは天を指差すが、あいにく曇っている。「太陽からの光の多くは放射線よ。ただし、オゾン層や大気層によって、地表に届く前にはじき返されているの。呼吸の問題がなくても、宇宙に生身で出て太陽の光を浴びたら、ガンになる暇もなく、放射線に細胞を破壊されて即死するわ。それぐらい強い放射線が太陽からは飛んできているの。だから、オゾン層ではじき返されると言っても全てではないわ。微量の放射線は常に降り注いできているの」
 小さな指は次に床を示す。
「ウランって物質を知ってる」
「原子力発電所や原子爆弾の原料だろ」
「そう。でも、ウランは特別な物質ではなくて、その辺にある土や岩にも微量含まれているの。特に花崗岩に多く含まれているわ。つまり、空からだけでなくて、地面からも放射線は発せられているの。こんなふうに、自然界から放出されている放射線のことを、自然放射線と言うわ」
「花崗岩は火山地帯に多いのよね。ということは火山の多い日本は、他の国よりも自然放射線が多いの」
「それは浅はかな考えだよ。現実はそんなに単純じゃない」
「えらそうに口を出さないで」
 いつのまにか越後が復活していた。カナは振り返ると、脚を振り上げる。その切っ先は股間に的中した。声も上げずに崩れ落ちる。
「まったく……、日本の自然放射線は低いわけではないけれども、決して高くないわ。年間の自然放射線量は世界中どこでもだいたい0.5ミリシーベルトぐらい。他の国でも同じぐらい。多少高い低いはあるけど誤差みたいなものよ。でも、イランやブラジルの一部の地域では、年間の自然放射線量が約10ミリシーベルトになるわ」
「20倍じゃない!草木も生えない不毛地帯ってやつ?」
「いいえ、普通に人は暮らしているし、ガンになる人が特別多いという研究結果もないわ。つまり、その程度の放射線量なら、人間にはなんの影響もないということよ」
「それで、ヨウ素はどうなったんだ」
「これからよ。放射線、と一口で言っても、それがすぐに人の健康に影響を与えるものではないと、知っておいて欲しかったの。さてヨウ素だけど、これも世界中にあるわ。まず、海水中に含まれている。それに人が食べているものにも普通に入っているわ。海藻類には特に多く含まれているし、魚介類や鶏肉にも入っている。さて、これらを食べることによって体内に入ったヨウ素は重要な役割を果たしているわ。甲状腺ホルモンの原料になるの」
「甲状腺ってたまに聞くけど、どこにあるの」
「ここよ」
 そう言いつつ振り返ったカナだったが、右手の手刀がきらめくことはなく、背後に立つ越後の前で止まった。
「気が利かないわね」
「人生、こういうこともあるよ」
「そうね。だから備えておかなければならないわ」
 手刀の先からなにかが飛び出し、そのまま伸びていくと先端が越後の首を打った。息を詰まらせながら倒れた。
「良い子は決してマネをしてはいけないわよ」
「それはなんなの?」
「ボタン一つで伸縮自在の差し棒よ」
 カナは手に持った差し棒を伸ばしたり縮めたりして見せる。
「首の前部にある甲状腺に運ばれたヨウ素は、一定期間そこに蓄えられ、後に甲状腺ホルモンの原料になるの」
「甲状腺ホルモンて、どんなホルモン?」
「簡単に言うと、成長を促すホルモンよ。つまり、阿久津さんは甲状腺ホルモンの分泌が盛んだったから、身長が伸び、そんなに大きな胸になったということね」
 差し棒で、瑠璃の胸が示される。
「じゃあ、山吹さんは分泌が少なかったんだな」
「これは遺伝よ。さて、いよいよ放射性ヨウ素の出番よ。普通のヨウ素ではなく、放射性ヨウ素が摂取された場合も普通のヨウ素と同じように甲状腺に運ばれ、そこに蓄えられるわ。通過するだけならまだしも、数日間貯えられるの。つまり甲状腺はヨウ素を蓄えている数日間、放射線に攻撃され続けることになるの。その結果として、甲状腺ガンになる人が出てくるの」
「なるほど。放射線を浴びたら甲状腺ガンになるんじゃなくて、放射性ヨウ素を食べたから、甲状腺ガンになるんだな」
 瑠璃が首を押さえながら納得する。
「その通り。さて、ようやく本題のヨウ素剤よ。放射性ヨウ素が甲状腺に蓄えられたらまずいことは分かったわね。では、蓄えないためにはどうしたらいいかしら」
「蓄えない?」
 二人は首を傾げる。
「そうね……。例えば、ここにミカンが10個入る箱があるとするわ。今は新鮮なミカンが6個入ってる。ここに腐ったミカンが入らないようにするためにはどうすればいい?」
「分かった!新鮮なミカンを先に入くのね」
 勢い良く那奈が答える。
「ヨウ素の場合も同じよ。甲状腺に蓄えられるヨウ素は25グラム。だから事前にそれだけのヨウ素剤を摂取しておけば、放射性ヨウ素を食べてしまったとしても、甲状腺に蓄えられることなく、外に排出されるの。つまり、ヨウ素剤は甲状腺ガンを治す薬ではなくて、予防する薬なの」
「なるほど。ヨウ素が良いとか悪いとか、放射線が良いとか悪いとか、一概に言えるわけではないんだな」
 瑠璃の納得した表情に、カナはニヤリと笑みを見せる。
「放射線は見ることができないし、怖いものだというイメージばかりが先行して広まっているけれども、きちんとした対処方法を知っていれば、闇雲に恐れる必要があるものではないわ。もちろん、しっかり管理することが必要だけど」
「見えないものを管理するのは大変だろ」
「それができなかったから、爆発しちゃったんでしょ」
 那奈はあっけらかんと言い放つ。科学者の卵は、苦渋に満ちた表情で頷く。
「とりあえずハカセは、その足元の腐ったミカンをきちんと管理しないとね」
「そうね。見えるからといって管理が簡単なわけではないところが悩ましいところよ」
 カナはしゃがむと放射線測定器のセンサーで、床に倒れたままの越後を突っつく。モニターは微量の放射線の検出を告げていた。



※本作は女子高生がだべっているだけの小説であり、科学的知見を保証するものではありません。
>>コミティアへ続く
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