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風月堂の謎 [食道楽]

新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

さて、休み明けには里帰りのおみやげをもらったりします。

今回、さつまどりサブレというお菓子をいただきました。


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ああ、鳩サブレーのパチモンね、って感じです。

ちなみに味は全然違いました。私は鳩サブレーの方が好きです。


ここまではよくある話なんですが、販売元を見ると「株式会社風月堂」とあります。

そして住所は鹿児島県。





風月堂って神戸じゃなかったっけ?


ということで調べたら様々なことが分かってきました。


詳しくはwikipediaを見てください。


まず、風月堂の始まりは、小倉喜右衛門(後に改姓して大住喜右衛門)が1747年に江戸で開いた菓子店大坂屋が起源になります。

2代目の時に風月堂と店名が変わります。ちなみに「風」は正しくは、かぜかんむりに「百」だそうです。

明治時代に入り、5代目の時に暖簾分けシステムを開始、当時番頭の米津松造がその1号になりました。その後も暖簾分けは続き、各地に風月堂ができます。

私が思っていた神戸風月堂はこの時、暖簾分けされた店だそうです。

さて、暖簾分けされた店はそれはそれで良いのですが、この頃から勝手に風月堂を名乗る菓子店も出てきたようです。


ちなみに本家である風月堂総本店は跡継ぎの問題から既に閉店、分家筋に当たる上野風月堂が直系筋にある店のようです。

ちなみに米津松造の店は経営破綻を起こし経営権を譲渡し、今は東京風月堂になっているそうです。


「風月堂」で検索してみればいくつもの「風月堂」が見つかると思いますが、本元の「風月堂」との関係をしっかりと記載しているところがあれば、全く触れていないところもあります。
暖簾分けされた店は、くさがんむりに「百」を使用しているようです。


さて、鹿児島の風月堂の話に戻ります。

歴史を調べているといきなりこんな言葉に出くわしました。


日本の焼き菓子の近代化は薩摩から始まりました。



いきなり大きく出ました。
初耳です。
明治維新をなしとげて気が大きくなったのでしょうか?

HPによれば島津斉彬公の命により、1855年に胡麻入り兵糧麺包(サブレ・ビスケットに近いもの)を作り出し、これこそが日本の焼き菓子の元祖だそうです。

時は移り明治元年(1868年)

戊辰戦争の際、西郷隆盛大将が出兵する兵士のため、江戸の風月堂に依頼して5000人分の兵糧麺包を薩摩藩に納入させたという史実が風月堂の沿革に残されています。 西郷隆盛大将は兵糧麺包の研究・製造に従事した藩士から教わった焼き菓子の製法を風月堂に持ち込み、作らせたのではないかと思われます。そういう意味では「焼き菓子の近代化は薩摩から始まった。」とも言えます。


これに関しては、東京風月堂のHPに記載がありますが、あまりにもこじつけじゃないかな~と思わざるを得ません。

ちなみにwikipediaによれば、米津松造が横浜に洋菓子の修行に行き、戻ってきた後、洋菓子を始めたのだそうです。

まぁ、鹿児島さんも洋菓子を始めたとは言っていませんからねぇ。


鹿児島の風月堂の創業は1919年(大正8年)、「風」は風の「風」を使っています。

ちなみにさつまどりサブレは昭和39年、鳩サブレーは明治生まれだそうです。


お土産をもらっただけで、いろんなことを知れて面白かったです。

最後に鹿児島の風月堂さんの社是を紹介させていただきたいと終わりたいと思います。


「菓子の道は人の道なり」嘘をつかない正直な思いで創る心がおいしいお菓子を育てます


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