ドイツ・オランダふらふら記 その4 [旅行記]
メアブッシュに行こう!
すみませんが今回は旅行記っていうより、ほぼローカルネタです。
ドイツに住んでいた時、家はメアブッシュにありました。
デュッセルドルフの隣町です。
20数年ぶりに昔の家を見に行くか!ってことで出発です。
Oststrからラインバーンで。この辺りは地下鉄になっています。昔はここまで地下鉄になってたかなぁ。
記憶があやふやですが、色々と線路を引きなおしたりしているようです。
あ、デュッセルドルフはラインバーンて路面電車が主な公共交通機関です。
外はおんぼろな外観のものが多いですが、シートは日本並みに立派になっているし、液晶モニターが設置されていたりで、色々と進歩しているようです。
初日二日目と全て歩きで移動していたのですが、三日目でようやく電車に乗りました。
やっぱり電車は速いな。
あっという間にLorickに到着。ここがデュッセルドルフの端です。
ここが終点の電車が半分ぐらいあります。メアブッシュに行くには乗り換えが必要。
なのですが、降りるのは次の駅、Landsknechtなので、中学時代はよく友人と一駅歩いて帰っていました。
ということで出発。
めちゃくちゃ遠くて大後悔したorz...
よくこんな距離を歩いて帰っていたなぁ。
雨は降っているで寒い寒い。
左手には延々と工場の建物が伸びているのですが、ここが廃工場っぽくて窓ガラスがボロボロ。
石を投げて割っていたりしました。
現在は操業しているみたいだし、ガラスも入れなおしたんだなぁと思っていたら、急にボロボロ区画出現。
あのころのままのボロボロっぷりです。多分、俺が割った後もあるでしょう。
ほかの場所でも窓ガラス割れまくりで操業している工場がありました。
この辺、ドイツ人のメンタリティが分からん。
工場地帯を抜けると一面の平原!
うーん、なにも変わってないぜ。
この道からカントStrへ抜ける道があるのですが、柵に鍵がかかっていました。中学生なら乗り越えるところですが、いい大人なので回り道することに。
ちなみに昔の家はKantStrの隣、HegelStrにありました。
本当になんにも変わっていなくて、ドイツ恐るべし!て感じです。
街の中心部に行ってみたがやはり変化なし。
日本食レストランができていたぐらい。
Maruyasuってのは人気なのか、あちこちにありました。
日本人にって言うより、現地人に人気っぽい。
通っていたおもちゃ屋がまだあったことには軽く感動。
パン屋も昔のままだったのでお茶。代替わりはしていましたが、よく残っているものです。
さて、おまけコーナー。
日本人学校。
昔は小学校と中学校に分かれていたのですが、現在は小学校側に校舎は統一。
セキュリティが厳しくなっており入れませんでした。事情を話せば入れてもらえたと思いますが、寒いし面倒くさいしで先を急ぎます。
旧中学校。建物の一部を改装してホテルになると聞いていたのですが、マンションになったようです。
隣のピザ屋が健在だったのも少しうれしい。
ということでなつかしの場所めぐり終了。
しかし、本当に変わってないです。
すみませんが今回は旅行記っていうより、ほぼローカルネタです。
ドイツに住んでいた時、家はメアブッシュにありました。
デュッセルドルフの隣町です。
20数年ぶりに昔の家を見に行くか!ってことで出発です。
Oststrからラインバーンで。この辺りは地下鉄になっています。昔はここまで地下鉄になってたかなぁ。
記憶があやふやですが、色々と線路を引きなおしたりしているようです。
あ、デュッセルドルフはラインバーンて路面電車が主な公共交通機関です。
外はおんぼろな外観のものが多いですが、シートは日本並みに立派になっているし、液晶モニターが設置されていたりで、色々と進歩しているようです。
初日二日目と全て歩きで移動していたのですが、三日目でようやく電車に乗りました。
やっぱり電車は速いな。
あっという間にLorickに到着。ここがデュッセルドルフの端です。
ここが終点の電車が半分ぐらいあります。メアブッシュに行くには乗り換えが必要。
なのですが、降りるのは次の駅、Landsknechtなので、中学時代はよく友人と一駅歩いて帰っていました。
ということで出発。
めちゃくちゃ遠くて大後悔したorz...
よくこんな距離を歩いて帰っていたなぁ。
雨は降っているで寒い寒い。
左手には延々と工場の建物が伸びているのですが、ここが廃工場っぽくて窓ガラスがボロボロ。
石を投げて割っていたりしました。
現在は操業しているみたいだし、ガラスも入れなおしたんだなぁと思っていたら、急にボロボロ区画出現。
あのころのままのボロボロっぷりです。多分、俺が割った後もあるでしょう。
ほかの場所でも窓ガラス割れまくりで操業している工場がありました。
この辺、ドイツ人のメンタリティが分からん。
工場地帯を抜けると一面の平原!
うーん、なにも変わってないぜ。
この道からカントStrへ抜ける道があるのですが、柵に鍵がかかっていました。中学生なら乗り越えるところですが、いい大人なので回り道することに。
ちなみに昔の家はKantStrの隣、HegelStrにありました。
本当になんにも変わっていなくて、ドイツ恐るべし!て感じです。
街の中心部に行ってみたがやはり変化なし。
日本食レストランができていたぐらい。
Maruyasuってのは人気なのか、あちこちにありました。
日本人にって言うより、現地人に人気っぽい。
通っていたおもちゃ屋がまだあったことには軽く感動。
パン屋も昔のままだったのでお茶。代替わりはしていましたが、よく残っているものです。
さて、おまけコーナー。
日本人学校。
昔は小学校と中学校に分かれていたのですが、現在は小学校側に校舎は統一。
セキュリティが厳しくなっており入れませんでした。事情を話せば入れてもらえたと思いますが、寒いし面倒くさいしで先を急ぎます。
旧中学校。建物の一部を改装してホテルになると聞いていたのですが、マンションになったようです。
隣のピザ屋が健在だったのも少しうれしい。
ということでなつかしの場所めぐり終了。
しかし、本当に変わってないです。
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